01 歴史
世田谷の地名
【問題・地名】(にへー)
世田谷の地名の由来はなんでしょう。
①地主が瀬田さんだったから
②多摩十郷の「勢田郷」のひびきから
③「耕す」土地がたくさんあったから(たがやす→たがやせ→せたがやへと変化)
④世田谷に伝わる伝説に「セータ・ガーヤ」が存在したことから
【問題・地名】(ちー)
北沢という名は、何に由来するでしょうか。
①名主の北沢氏から
②世田谷には沢が多く、北に位置する沢であったから
③「キタサワ」という儀式から
④北沢城があったから
【問題・地名】(ちー)
世田谷区粕谷には「芦花公園駅」や「芦花ホーム」など「芦花」という名称が多く見られます。 世田谷区には「芦花」という地名はありません。
では、この「芦花」という名称は何に由来するでしょう。
①芦花という花の名所であることに由来する。
②以前、水をろ過する施設があったことに由来し、それを当て字にした。
③芦花という人が住んでいたことに由来する。
④昔から住人たちが「芦花」という神様を崇めていたことに由来する。
【問題・地名】(えなり)
代田という地名は、その土地にある窪地の形が大きな足跡にみえることに由来しています。 さて、由来となった伝説上の人は次のうちどれでしょう。
①お米のかみさま ②ガリバー ③だいだらぼっち ④セータ・ガーヤ
世田谷の郷土史
【問題・郷土史】(ちー)
1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災が世田谷に与えた変化で正しい組み合わせは次のどれでしょう。
①人口が減った。寺町が形成された。
②人口が減った。工場地帯が形成された。
③人口が増えた。寺町が形成された。
④人口が増えた。工場地帯が形成された。
【問題・郷土史】(ちー)
かつて世田谷では、幻のオリンピックともいわれる「第12回オリンピック東京大会」(1940年)が開催される予定でしたが、戦争のために中止となりました。
このオリンピックで設置される予定だった施設と場所の組み合わせで誤っているものは次のうちどれでしょう。
①主競技場‐駒沢
②馬術競技会場‐馬事公苑
③柔道競技会場‐羽根木
④選手村‐砧
【問題・郷土史】(ちー)
烏山村は何という街道を中心に発展したでしょう。
①東海道 ②中山道 ③日光街道 ④甲州街道
【問題・郷土史】(ちー)
烏山村に開通する予定だった路線は、次のうちどれでしょう。
①東海道線 ②中央線 ③山手線 ④世田谷線
【問題・郷土史】(ちー)
給田に住む人々は昔から、川と深く結び付きながら、生活をしていました。その川は何という川でしょう。
①仙川 ②多摩川 ③野川 ④丸子川
【問題・郷土史】(ちー)
京王線が開通するまで、甲州街道の新宿~調布間で乗合馬車が走っていました。その馬車は、御者がラッパを吹いて走ったことにちなんで、村の人から何と呼ばれていたでしょう。
①テト馬車 ②プップ馬車 ③ラッパ馬車 ④ブーブー馬車
【問題・郷土史】(にへー)
明治40年(1907年)3月、玉川電車がさまざまな困難を切り抜けて開通しました。まずは道玄坂上から三軒茶屋間が開通し、続いて4月1日には三軒茶屋~玉川(現在の二子玉川)間が開通しました。その玉電は、当初ある目的のために開通したため、別名「○○電」と呼ばれるようになりました。
当時玉電は、何とよばれていたでしょう。
①ジャリ電(砂利輸送)
②コール電(石炭輸送)
③トントン電(豚などの酪農輸送)
④モロコシ電(世田谷の農産物輸送)
【問題・郷土史】(にへー)
世田谷区桜の勝光院のある場所は、1591年(天正19年)にある人物が勝光院領として30石※を寄進した朱印地※でした。
寄進をしたのは誰でしょう。
①織田信長 ②豊臣秀吉 ③徳川家康 ④源義家 ⑤源頼朝
※石とは、「尺貫法で、容積の単位。我が国の場合、斗の十倍。十合を、一升といい、十升を、一斗といい、十斗を、一石という。大名、武家の知行高(所領高)を表す語」。(日本国語大辞典第2版第5巻より)
※朱印地とは、「近世、将軍の朱印状によって領有が安堵された土地。主に寺社領の場合をいい、将軍が替わると改めて安堵するので『継目の朱印』ともいわれる」。(日本国語大辞典第2版第6巻より)
【問題・郷土史】(にへー)
世田谷にある世田谷城は吉良一族が築城しました。その初代世田谷城城主は吉良一族の誰でしょう。
①吉良治家 ②吉良頼康 ③吉良氏朝 ④吉良成高
【問題・郷土史】(にへー)
世田谷でボロ市を始めた人物はだれでしょう。
①源義家 ②徳川家康 ③吉良治家 ④北条氏康
【問題・郷土史】(えなり)
代田では、1590年に起こったあることがきっかけとなって村がひかれました。
その出来事とは何でしょう。
①住友金属鉱山創業 ②小田原攻め ③安土・桃山の乱 ④セータ・ガーヤ襲来
【問題・郷土史】(なっつ)
江戸時代の世田谷地区は近郊農村地帯でした。しかし地理的に水源の確保が難しかったため、ある物の栽培が主となりました。
さて、それは次のうちどれでしょうか。
①タバコ ②カカオ ③茶葉 ④野菜
文化財・遺跡・古墳等
【問題・遺跡】(みー)
世田谷城は、世田谷の歴史上の重要人物である吉良氏が築いたといわれ、世田谷御所などとも呼ばれ栄えた時代もありましたが、その後廃城となりました。
さて、この世田谷城跡は、現在何になっているでしょうか?
①道路 ②公民館 ③公園 ④大学
【問題・遺産】(本田)
世田谷区弦巻(当時の所在地は東京府荏原郡駒澤村字新町)には、1923年に竣工された「駒沢給水塔」がいまでもその姿を残しており、その優雅な姿からファンも多いです。「価値ある近代建築遺産・土木遺構である駒沢給水塔とその庭園風景を多くの人に知ってもらい、世田谷の名所にすることをめざして活動」する駒沢給水塔風景資産保存会(愛称:コマQ)も有名です。
駒沢給水塔は現在は無人管理で立ち入り禁止になっていますが、震災時には飲料水を供給する応急施設となっています。外観は古典主義的な趣向を取り入れた装飾が印象的で、毎年6月1日~7日の水道週間には装飾球が点灯されます。
さて、水道週間に装飾球は何色に点灯されるでしょう。
①みずいろ ②ピンク ③みどり ④きいろ
【問題・史跡】(みー)
都史跡にも指定されている世田谷代官屋敷ですが、その敷地内にあるのは何家の住宅でしょう。
①大倉家 ②太田家 ③大場家 ④大久保家
【問題・古墳】(みー)
世田谷区内の文化財にも指定されている古墳の中で、公園内に存在する古墳は次のうちどれでしょうか。
①上野毛稲荷塚古墳
②野毛大塚古墳
③御岳山古墳
④第六天塚古墳
【問題・古墳】(みー)
世田谷区の野毛古墳群の中でいちばん西側に位置し、住宅街の中に存在し、周囲は柵が張り巡らされ敷地内立ち入り禁止となっている古墳は次のうちどれでしょう。
①上野毛稲荷塚古墳
②稲荷塚古墳
③八幡塚古墳
④野毛大塚古墳
【問題・古墳】(みー)
世田谷にある古墳の中で、区立稲荷塚緑地内にあり、過去2回の発掘調査において89点もの出土品が発掘されたのは次のうちどの古墳でしょうか。
①野毛大塚古墳
②上野毛稲荷塚古墳
③稲荷塚古墳
④第六天塚古墳
寺社
【問題・寺社】(みー)
世田谷区奥沢にある浄真寺(浄土宗)は、阿弥陀如来像(阿弥陀如来坐像)などの文化財があるお寺として大変有名です。
さて、阿弥陀如来像(阿弥陀如来坐像)は何体おさめられているでしょう。
①1体 ②3体 ③9体 ④33体
【問題・寺社】(やまも)
世田谷区宮坂にある世田谷八幡宮では、古くから祭礼として行われている日本の伝統スポーツがあります。それは次のうちどれでしょうか。
①やぶさめ ②柔道 ③相撲 ④けまり
【問題・寺社】(みー)
世田谷区桜にある勝光院内には、世田谷の歴史において重要な「ある家系」の代々の墓があり、世田谷区の史跡にも指定されています。
さてそれはどの家系の墓でしょう。
①北条氏 ②足利氏 ③喜多見氏 ④吉良氏
【問題・寺社】(ちー)
烏山寺町にある高源院は、都会にあるようにはおもえないめずらしい景観から、せたがや百景に選定されています。
さて、高源院の敷地内にあるものはどれでしょうか。
①樹齢千年の古木
②一面の芝桜畑
③涸れることのない滝
④渡り鳥が飛来する池
【問題・寺社】(みー)
喜多見にある喜多見氷川神社内には、承応3年(1654年)に喜多見勝忠の子・重垣と重勝の兄弟によって造られた世田谷区指定有形文化財があります。
それは次のうちどれでしょう。
①梵鐘 ②阿弥陀如来座像 ③石鳥居 ④墓所
世田谷の民話・童話
【問題・民話/童話】(にへー)
玉川地域には「小便地蔵」という民話があります。
民話に登場する和助じいさんは、地蔵のそばにある松の木に向かって小便をかけている子どもたちを注意し、そのようなことがないよう柵を造りました。しかし、その後、和助じいさんには不幸が降りかかりました。
その不幸とは何でしょう。
①育てていた野菜がだめになってしまった。
②病気にかかり、寝込むようになってしまった。
③妻が子どもを連れて出て行ってしまった。
④こどもたちにいじめられるようになった。
【問題・民話/童話】(にへー)
玉川地域には「伊之助掘」という民話があります。
主人公の伊之助という貧しいお百姓さんは、ある夜森が燃えているのを発見しました。火を消しに行こうとしましたが、木の切り株につまずいて倒れてしまいました。しかしこの時、火は消えていました。伊之助は「キツネに化かされたのか」と思いながら家へ帰りました。
この出来事を不思議に思った伊之助は、翌朝またこの森のつまずいたところに行ってみました。すると伊之助がとても驚くようなことが起こっていました。
その驚くようなこととはいったい何だったでしょう。
①たくさんの金があり、伊之助はその後裕福な暮らしをおくった。
②火が消えたと思っていたが、やはり火は消えていなく森が焼け野原になっていた。
③つまずいた木の切り株あたりからこんこんと水が湧き出ていた。
④つまずいた木の切り株あたりに大きな穴があいていた。